こんにちは、コクロです.

最近重大なことを悟りました.

特に考えごとをしていたわけでもないのですが、ある時ふと気付きました.

周りから見ればとりたてて"悟り"と呼ぶべきものではありません.しかし自分にとっては衝撃的事実です.

それは

東大受験のために習得すべき事項がまだ大量に存在していること.

そして、それを処理しきるためには今の学習速度では圧倒的に遅いということ.


過去に勝ち得た栄光はすべて破棄します.現在受けている称賛はすべて無視します.

傲慢と怠慢から決別します.

高みに登った先でしか、あるいは、高みに登ってゆく道程でしか満たされない何かが、心の中でくすぶっている.

些末な欲求をいくら実現したところで、決して満たされないであろう何か.

僕は本来の目的を忘れていました.

自分の目標は、東大合格ではなかった.

本当に夢見たのは、東大首席合格でした.

今思いを新たにし、そして誰よりも高みに進みます.


長文お読み下さってありがとうございます.





コクロさんこんにちは、サトルです。
メールどうもありがとうございました。
重大なことに気がついて、本来の目的を思い出すことができて良かったですね!
このようなことが起こるのも、普段から努力を継続しているからだと思います。
東大首席合格を目指して、これからもがんばっていきましょう!


こんにちは、コクロです.
お返事ありがとうございます.

やはり従来通り、私大は受けず東大のみを受ける予定にしました.

あれからまた考えて、私大を受けるより、頭の中で東大受験を予行演習する方が練習になるんじゃないかとひらめきました!要するに単なるイメトレですが、冗談じゃなくて本気です!

今回もアドバイスありがとうございました.
失礼します.


コクロさんこんにちは、サトルです。
メールどうもありがとうございました。
納得の行く結論を出すことができて良かったですね!
それは非常に素晴らしいアイデアだと思います。
ぜひこの調子でがんばって合格しましょう!


こんにちは、コクロです.

今日は朝から市の図書館の自習室で勉強していました.

しばらくして一息つくと、机に小さい字で英語の落書きが書かれているのに気が付きました.

「trial and error,theory and practice」

誰か他の受験生が書いたのだろうと思います.これはその人の信念なのかなぁと思いをはせながら、このカッコいい横文字はなかなか深いと感じました.

受験勉強、あるいは生活全般が、「trialの中で見いだされたtheoryに基づいてpracticeし、errorを積み重ねながらよりよい学習(や生活)を実現してゆく」という過程のスパイラルなんじゃないか.

とか考えているうちに、なぜかわけもなく嬉しくなって、その見知らぬ誰かの存在が急に近いものに感じられました^^*


とりとめない文章失礼しました.


コクロさんこんにちは、サトルです。
メールどうもありがとうございました。
良い言葉をみつけることができたのですね。
その言葉の意味ももちろんとても良いですが、それに加えて、それを書いた人の存在を想像することができたのはとても素晴らしいですね!
このような経験が、人をより大きくしてくれる経験なのだと思います。


こんにちは.コクロです.

今日も長文になりますが、お読みいただけると嬉しいです.

―ある方が受験について次のように書かれているのを見ました.(ごく一部を要約したものであって本文そのものではありません)

「受験勉強は思考力をつけるには役に立たない.知識偏重の勉強のみである.一体曲線に囲まれた面積をひたすら求める、などということが将来有用となるだろうか」

それを受けて自分が考えたことを以下に述べたいと思います.
(文章は断定の表現になっていますが、あくまでも個人的な信念の体系の中での断言に過ぎません.)

*******

受験勉強は些末な知識の吸収のみを目的としているわけではなく、むしろ豊かな知識に根ざした上での活発な思考を可能にすることを本領とするものです.

一方で自分は、定積分を扱うことは(数学を用いる一部の人々を除けば)進学後、未来永劫必要としないであろうという認識もあります.

しかしこの2つの考えは矛盾しません.例え話を考えてみます.

サッカーの「基本」がボールを蹴ることであっても、その「本質」はただボールを蹴っていることではありません.

それと同様に、受験勉強の基礎的な習得事項は「三次曲線に囲まれた面積を計算すること」や「産業革命を準備した諸要因」などですが、それは最終的に求められていることではありません.

事象と事象の間に存在する関係性をより高い視点から把握する、そしてそのための論理的思考や想像力といった能力を育むこと.それが勉強することの意義です.

しかしそのような抽象的な訓練を行うには、実際に思考の対象となる問題・課題が用意される必要があります.

すなわち、日常では無数の対象に向かい、時に散漫となる思考という営みを、明確に意識して為される行為として実現するための場を準備しなければならず、それが(一例として)「面積を求める」「産業革命を考える」という問いなのです.

(もちろんこの問いは単なる手段としての価値に留まらず、大学に進めばそれ自体が、多様な研究が行われるだけの意義をもつものでしょう.)

従って、より抽象度の高い思考に達するという「本質」を、「基本」となる種々の問題の中で獲得してゆくプロセスが、東大受験です.

ここで注意したいのは、既に述べてきた「思考」とは、必ずしも個々の教科の問題を―よく言われる方法論の言葉を借りれば―「自力で分かるまで考えぬく」ことを意味しないということです.

そうするのが当人にとって適切な手段であれば実行すればよいし、解法をすぐに確認し、暗記し尽くすのがより効率である場合は、それもまたそのように実行すべきなのです.

一見すると後者は極めて知識偏重な勉強だと思われるかもしれませんが、時と場合に応じて自らが必要とするものを考え、選択してゆく過程は、まさに高度に抽象的な思考の産物であり、自力か暗記かはそれぞれ優劣のない一つの方法にすぎません.

すなわち、自分の解決すべき「問題」がいかなる次元のものか(「目の前の数学の問題」レベルから最終的な「東大合格」というレベルまで)を判断しながら、それに応じて異なる最適な解決策を試みてゆくこと.ここに「思考」という行為のより一般的な意味があります.

以上から、勉強に対するそれぞれのスタンス次第で、受験は考える力を養う装置として機能しうる.それも、問いを考えるだけでなく、問いそのものの外側から、その問いを含むより広範な問いを考えてゆく練習の場を提供してくれるものだと結論づけることができるのです.

******

面倒なほど長い(しかも偉そうな;;)文章を最後まで読んで下さって、ありがとうございましたm(._.)m


コクロさんこんにちは、サトルです。
立派な小論を書いてくれてありがとうございました!
受験勉強というものの本質を見事にとらえることに成功していますね。
目先の表面的な知識獲得にばかり気を取られて誤解している人が世の中にはたくさんいますが、
そういった誤った意見にまどわされることなく、大事なものが何なのかをしっかりと認識できています。
貴重な意見を本当にどうもありがとうございました!

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